技術と魚

雑感と備忘録

「フォン・ノイマンの哲学」を読んだ

「フォン・ノイマンの哲学」(高橋昌一郎著)を読了。

ノイマンの逸話は言わずと知れているし、その功績も数学やコンピュータ、経済を齧っていれば度々目にする。そんな天才の一生をざっくり眺められる良書。

強烈な天才の側面だけを切り取って見ていると、疑いようもなく「天才」であったし、ソ連に対し今すぐにでも水爆を落とすべきと主張する側面だけを切り取ってみると、確かに「悪魔」的だなと思う。

しかし実際には、現代人である僕ではあまり想像し難いが、彼はWWIIの真っ只中を生き抜いた一人の人間だった、ということが、本を読んでて感じたことの一つ。特に、ハンガリー出身のユダヤ系ドイツ人であり、当時のナチス政権による迫害から逃れ、その後米国からヨーロッパの優秀な技術者を何とか引っ張って救出したり、二度結婚したり、共同研究していた研究者が実はソ連のスパイだったとかいう文脈の中に見られる感情を知ると、「悪魔」と言うにはあまりに人間的であるように思う。

どちらかというと彼の悪魔さは、WWIIの中に見た非人道的な人々の行動や、裏切られる経験の中で、判断力が研ぎ澄まされた結果、平均的な人に比べて人情に左右されない判断力を持っていた所から相対的に人々にそのように映ったのであって、元々人間的感情が全く無いような冷酷な人間性ではないように感じた。実際、一貫した経験主義・実験主義だったという点からも、やはりそうした時代背景があってこその彼の性格だったのだと思う。

逆に言えば、その生き抜いた環境がWWIIではなく、比較的平和な現代であったならば、彼の人生におけるインプットはまた別の様相であって、おそらく異なる形のノイマンを見ることが出来たのだろうなとも思った。まあ、僕がもし過去のノイマンにそうではないかと聞くことができても、認識できない世界を仮定しての質問など意味がない、という返事が来ることだろう。

晩年、全米計画協会で行ったノイマンの最後のスピーチでの言葉「すべてを、機械が得意なことと人間が得意なことに分けるのが、今後の最良の手段です」は、とても刺さった。というか、現代で我々は必死こいてIT化だのDXだのと言っているわけだが、彼は半世紀以上前に予見していたということか!ゾッとするなあ。