プロダクトの優先度決めの議論はたいてい人類にはまだ早いんだけど、たいてい行き着く先として、「うちの製品のコアをどっちとするかによって話変わるよね?」とかいう話にはなるなと、何度も繰り返して思った。
コアのことは、状況によっては秘伝のタレとか言ったり、呼び方が変わるとしても、ユーザ側からすれば「このプロダクトの最も良いところはXXですね」と主観的一意見を述べることはいとも簡単であり、そこにはやはりコアらしき何かは観測される。しかし、提供者側にいると、なぜか量子論的に分布しているかのように、一意に定まっていなかったりする。
しかし、コアとは何たるかについて考えるのが難しいにしても、議論を観察していると、そもそもコアについての解釈が人によって異なっていて、各人が立脚する前提は分類できるかもしれない。実際に僕が見ている中では何となく次の2つの軸がある。具体的には、"コア"なるものを話に持ち出す必要性に対する態度と、"コア"がどのように作られるのかという構成方法に対する考えの部分の2軸がある。もちろんそんなに極端なものではなく、間を取ったようなものもある。
コアの必要性に対する態度
コア必要説
このプロダクトには『ここがコアだ』と言えるような部分を優先度の議論上、定義しなければいけない とする考え方
コア不要説
このプロダクトには『ここがコアだ』と言えるような部分は(結果的にユーザの認識上に存在してもよいが)優先度の議論上は不要 とする考え方
コアの構成方法に対する態度
意思介入説
プロダクトのコアは、提供者が『ここをコアにしよう』という意思をもって作っていかなければならない とする考え方
要望成行説
プロダクトのコアは、各ユーザの要望を満たし続けることで自然に収斂した先に形作られるもの とする考え方
もちろんこれは全然思いつきと言うか中途半端な言語化なのでもう少し注意して分解したいところだけど、例えば以下のようなマップを考えてみると、自分の考えがどの辺りの象限をベースにしているのか、という話はできるかもしれない。
意思介入説 | 要望成行説 | |
コア必要説 | 1 「俺はこの部分をコアにしたいからここに注力したい」 | 2 「ユーザはこの部分に要望が集中しているからここをコアにしていきたい」 |
コア不要説 | X | 3 「コアになるかどうかは置いといて、とにかく要望を満たすべき」 |
ビジョナリーな経営者でプロダクトへの思いが強いんだったら1に振り切ったような話になっているかもしれないし、顧客視点あるいはマーケットイン的な考えがある場合は2や3側に寄っているかもしれない。Xの部分は存在しない(不要であるのに意思を介入させる意味はない)。
1は意思が介入しているからといって、要望を満たそうとしていない訳ではないことは注意が必要。成り行きで進めることによる弊害は局所最適化なので、それを避けるために1に寄ることは少なくとも必要なのは間違いない。反面で早すぎる全体最適や理想へのこだわりが長期で無駄を生むリスクとは常に隣り合わせ。
(と、いろいろ考えてみたけど、突き詰めれば突き詰めるほど空間的マッピングが適していない気がしてきたのでやはり言語化不足な気はするw)