技術と魚

雑感と備忘録

「宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃」を読んだ

『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃 (Japanese Edition)』 (加藤 文元著)

数学の哲学として非常に面白かった。IUT理論自体については、ほんの触りの部分だけ知ることができるけれど、この本が目的としていないように、具体的で厳密な理解はできない。とはいえ、たし算とかけ算の関係性とABC予想の難しさ、また群についても分かりやすい説明がされているので、数学にあまり詳しくない方でも楽しめると思う。私も大学で数学科だったとはいえ、ほとんど社会人になって忘れてしまっていたので、思い出しながら読み進められて比較的楽しめた。また、望月教授がIUT理論に至るまでの数学的なコンテキストを、他の理論や予想と交えて知ることができるし、ドキュメンタリーやSFのような感覚で読み進められるのも良い。

以下、数学の哲学として面白いと感じた部分を引用したい。(位置:xx)は、Kindle上の位置を表します。


数学が進歩するとは、どういうことなのか?

ここで「終わっている」というのは、歴史上のどこかでそれが完成してしまったから、もうそれ以上研究することがなくなった、という意味では決してないことには注意を要します。それは、簡潔に言ってしまえば、なんらかの理由で、もうそれ以上進歩しなくなってしまったとか、ある程度の目的が達成され、結果が出揃ってしまって、それ以上は重箱の隅をつつくような感じになってしまうとか、そういう感じのことで、数学的というよりは、人間的な興味の問題に近いものです。ですから、それは決して古代の一時期に完成してしまったというわけではありません。

(位置No. 762)


論文の価値はなにで決まるのか?

数学の論文にとって大事なことは、それが「新しい」ものであること、「正しい」ものであること、そしてさらに「興味深い」ものであることです。この三つのどれが欠けても、数学の論文としての価値は激減します。

(位置No. 860)


そもそも人はなぜ数学するのか?

これほど価値が多様化し、数学の「使われ方」も多様化してしまった現代にあっては、もはやどんな数学でも、それが「役に立つ」のは当たり前だとしか言いようがないし、それを疑うのはもはや無意味になってきている。

(位置No. 1117)


自然であること

数学とは非常に論理的な学問であると同時に、非常に直観的な学問でもある

(位置No. 1674)


ジグソーパズル

数学には二種類ある。学校で教わる数学と、研究における数学の二種類が。学校で教わる数学は、喩えて言うなら「完成図のあるジグソーパズル」だが、研究における数学は「完成図のないジグソーパズル」のようなものだ

(位置No. 2322) ※ なおこちらは、著者によるエドワード・フレンケルの喩え話の引用